Thursday, May 15, 2008

Antoine Wiertz


Antoine Wiertz (アントワーヌ・ヴィールツ)
ベルギー象徴派の先駆的な人物で、19世紀画家、彫刻家。
1806年2月22日生まれ、 1865年6月18日没。
ベルギーのディナン (Dinant) のやや貧しい家庭に生まれる。
オランダのヴィレム1世からの奨学金を得ることができ、1820年、アントワープ美術アカデミーに入学。
若き日のAntoine Wiertz (アントワーヌ・ヴィールツ)は、フランドル・バロックを代表するルーベンス (Pieter Paul Rubens) から多大なる影響を受け、それが後の大作主義へと繋がってゆくことになる。

1829年11月から1832年5月にかけてパリで過ごし、1832年には Prix de Rome を獲得、1834年から1836年にかけて、その時代多くの芸術家と同じくイタリアへ留学をし、ローマのアカデミー・ド・フランスにおいてオラー ス・ヴェルネ (Horace Vernet) の指導の下、イタリアの偉大な芸術家たちの模写に励む。
ローマで過ごす間に制作した最初の大作は、"Les Grecs et les Troyens se disputant le corps de Patrocle (Greeks and Trojans fighting for the body of Patrocles)" であり、1835年から制作に取り掛かり、完成したのは1836年のことである。
そうこうしている内に、イタリアには結局1837年の2月まで滞在することになった。

1837年、この作品をアントワープの展示会に出品し、小さな成功を収め、翌1838年には、パリのサロンのために作品を出品するも、到着が遅れたため出品を拒否されてしまう。
このことから、一年後の1839年、Antoine Wiertz はパリのサロンに "Patrocles" の他に、"Madame Laetitia Bonaparte sur son lit de mort (Madame Laetitia Bonaparte on her deathbed)"、"La Fable des trois souhaits — Insatiabilité humaine (The fable of the three wishes — Human insatiability)"、"Le Christ au tombeau (Christ entombed)" を出品した。
しかし結果は、一般人からは無関心を持って迎えられ、批評家からは皮肉を投げかけられるなど惨憺たる結果に終ってしまう。
これらのことから Antoine Wiertz は、芸術批評家、そしてパリに対して深い敵意を抱くようになり、作品の巨大化にもより拍車がかかっていくことになる。

1844年にAntoine Wiertz は "Patrocles" をスケールアップしたセカンドバージョンを制作。
サイズは、3.85m × 7.03m から 5.20m × 8.52m へと大きくなっている ( 「大きいことはいいことだ」 by 山本直純)。
この年Antoine Wiertz の母親が亡くなる。
それがきっかけとなり、1845年、活動の基盤としていたベルギー東部の都市リエージュ (Liège) を離れ、首都ブリュッセル (Bruxelles、Brussel、Brüssel) へ移り住むことになった。

前置きという名のバイオグラフィが長くなってしまったが、今回ポストした、Antoine Wiertz の作品の中で最も有名な "Deux jeunes filles, ou la belle Rosine (Two Young Girls or the Beautiful、美しきロジーヌ:ふたりの乙女、麗しのロジーヌ:ふたりの乙女)" が描かれたのは、1847年、ブリュッセルに住まいを定めてからのことである。

ここで澁澤龍彦が 『幻想の肖像』 の中でこの作品について紹介しているので、おいしい部分を摘んで引用しておく。

「向かい合った裸体の少女と骸骨とは、要するに同じ人間の別のすがたにすぎないのである。両者は互いにしげしげと見つめ合っている。この女らしく成熟し た、豊満な肉体美を誇る少女もやがて、死すべき時がくれば、彼女の前に立っている骸骨のように、肉も血も失せた、乾からびた醜い形骸と化してしまうだろ う。そういう寓意を、この絵はあらわしているのでもあるかのようである。(中略)
 ヴィールツの新しい19世紀の「死と少女」は、そうした[(中世キリスト教の「死を思え」メメント・モリというような]宗教的な発想から描かれたという よりも、むしろテオフィル・ゴーティエ風の怪奇ロマンティシズムから着想を得た、というべきであろう。ヴィールツは骨の髄までロマン主義的な気質の画家で あり、しかも当時の文学者たち、ユゴーやゴーティエやメリメがそうであったように、多分に文学的な陰惨趣味の持ち主でもあったようである。」

自分で打ち込むのが面倒だったので、冒頭部分から検索で引っ掛かった幻想芸術の森というサイトから孫引きさせてもらった。
バイオグラフィも自分で訳すのではなくここから引用させてもらえばよかったのに、とちょっと後悔。

Wikipedia
Wikimedia Commons
Antoine Wiertz: Belgian Romantic
The Dark Romance Virtual Gallery - the paintings of Antoine Joseph Wiertz
Antoine Wiertz :: Biography and Image Gallery at ArtMagick
Ciudad de la pintura - La mayor pinacoteca virtual
Antoine Wiertz
アントワーヌ・ウィールツ

2 comments:

Anonymous said...

There is a Wiertz museum in Brussels, just beside the new building of the European Parliament.

cha cha 2000 said...

thanx.
わざわざアントワーヌ・ウィールツ美術館の場所を書いて下さっているので、美術館・博物館リストを纏めているサイトから、より詳しい情報を引用しておきます。

アントワーヌ・ウィールツ美術館 Musée Antoine Wiertz/Antoine Wiertzmuseum
所在地:62, rue Vautier - 1050 Ixelles Vautierstraat 62 - 1050 Elsene
Tel: +32(0)2 648 17 18 Fax: +32(0)2 508 32 32 http://www.fine-arts-museum.be
料金:無料
開館時間:火~日10:00~12:00、13:00~17:00
閉館日:月、隔週の土日、1/1、1月第2木曜、5/1、11/1、11/11、12/25、その他(電話にて確認可)。
19世紀ロマン主義のベルギー画家アントワーヌ・ウィールツ(1806-1865)の彫刻、絵画、デッサン等を展示。